グァテマラ生活の時期に一緒にバドミントンのコーチをしていた現地の同僚は、とっても話し上手で、面白くて、年齢性別問わず、いつも人気者でした。
彼の話すエピソードには何度お腹を抱えて笑わされたことか。
当時は、なぜ彼の周りではいつもこんなに面白いエピソードばかり起きるんだろう?と思っていましたが、帰国後しばらく経ってから、彼に面白いことがたくさん起きてるんじゃなくて、彼がそう受け止めているから面白くなるんだと気づきました。
意図的にそうしていたのか、それとも潜在的で無意識のものだったのかは分かりません。
でも「面白いこと」は彼が作り出していたことでした。同じことが起きても、彼にとっては面白いことになり、他の人には普通のできごとだったりするのです。
もちろん、エピソードを人に話すときに話術の上手い下手はあると思いますが、そのことよりも、そもそも受け手がそう受け止めているからなんだなと思うことがたくさんあります。
面白いこと、つまらないこと、楽しいこと、悲しいこと、幸せなこと、不幸なこと…。
受け止め方次第で、多くのことが全く違うことのように変わっていく、そんな感じです。
確かによく見てみると、自分は幸せだと感じて毎日を過ごしている方は、本当に幸せそうな雰囲気を醸し出しているし、毎日を楽しもうとしている方は、例えばショックなことがあっても、そのときの感情を抱えている時間は圧倒的に短くて、逆にイキイキとしている時間が長くて充実しているように感じます。
自分の感性の軸がどこにあるのかによって、毎日やその先にある将来は大きく変わってきそうです。一つの事象でも、自分の軸によって受け止め方は様々ですね。
自分の感性はどう感じているか?
最近流れてくるニュースはとてもネガティブな内容が多くて、見たり聞いたりすることにうんざりすることがよくあります。
中には、まるで、意図的に対立構造を作り出そうとしているかのように感じることも。
本心では平和を願っていても、悪を作り出して叩いたり…。
向いている大きな方向性は一緒でも、やり方が違うと標的にしたり…。
報道によって世論が作られて、感じることも統一させられていく。
でも、そのほとんどが切り取られたものであったり、偏りがあってバランスが悪いと感じたりします。
自動的になりすぎてしまうことがない様に、どう感じているかを自分に聞くことを大切にしたいものです。
SNSが広がって、個人がそれぞれの主張を発信できるようになり、近い価値観同士で人と人が繋がりやすくなりました。ですが、その繋がりを利用して纏まることで意見を統一しようとして、異なった意見は受け入れないという風潮も同時に作り出してしまっているような気がします。
せっかくお互いが思い思いの発信をして「違い」を主張しているのに、その「違い」を受け入れ合わずに叩き合うのは、なんだか悲しい。
もちろん、最低限のマナーやルールを守った上での話になりますが、そうでないものは意外と面白い発見につながったり、気づきになることもあるかもしれません。
子供は1日に400回、大人は15回
これは一日に笑う回数と言われています。
さらに細かく見ていくと、小学生相当の年齢で1日に平均300回程度、20代になると平均20回程度に激減、70代になると1日平均2回になるというデータがあるそうです。
また、毎日声を出して笑う割合を見てみると、女性は20代で64%、40代が52%、50代で32%、男性は20代で50%、40代で36%、50代で33%と加齢に伴い減っていくという結果になっているようです。
40代男性の中で2割以上に当たる方が、週に一度も声を出して笑わないというデータもあるのは驚きです。
では、なぜ笑う回数が減るのか?
調べてみたところ、笑いヨガを考えたインド人医師のカタリア氏が解説していました。
カタリア氏によると、この回数の差は感性と脳の差によるものだそうです。
大人は脳で面白いと理解して笑うそう。
面白い現象に遭遇すると、それを脳で解釈して笑う構造になっているということですね。
これに対して子供は、感覚で笑っているようです。
目にしたものだけで笑い、耳にした音だけで笑う。
それが面白いから、さらにまた笑う。
笑うことが体に良いことも、人間関係を円滑にしていくことも、毎日が楽しくなることを分かっているから、たくさん笑った方が良い。
「じゃあ、どうやったら感覚で捉えて笑えるんだろう」ということを脳で考えてしまうところはシュールだなと思ってしまいますね笑
大人は考えることができるようになる分、感じることは苦手なのかなと思いましたが、考えることが優先され過ぎてしまうと、とても重要なことを見落としてしまいそう。
やっぱり、個人的には、考えることも感じることも両方できる大人の方がいいなと思いました。
「たたくより、たたえ合おう」
ここ最近、テレビやラジオで流れているあるCMでのフレーズです。
残念ながら、叩き合う世の中だから響くメッセージなのかも知れませんが、このCMが流れている背景は置いておいて、「たたくよりたたえ合おう」というフレーズは素晴らしいなと思いました。
平和や平穏、安心、幸せ。
誰もが求めるものだと思います。
本当は争い合いたくない。本当は競い合いたくない。本当は批判し合いたくない。
平和に過ごしたい。穏やかな毎日を送りたい。安心感をいつも得ていたい。幸せを感じていたい。あえて口にしなくても、ほとんどの方のこの大きな矢印は、同じ方向を向いているのではないでしょうか。
意識や価値観をコントロールされることなく、ベースにある自分の軸を信じていると、小さくてもそこに自分の理想の世界が作られていくように思います。
意識が自分の世界を作っているとしたら、どんな意識でいたいでしょうか。
まずは、その軸がどんなものなのか。どう感じているのか。
そして、お互いに押し付け合わず、まずは身近なところから違いを受け止めて尊重し合って、共感できることを進めていければ…と、いうことを書きながら、ここまで主張することは矛盾しているとツッコミが来そうですので、今回はこの辺で(笑)