20年。たった1本の注射が父の命を奪って、それだけの時間が経ちました。
あの時期に生まれた赤ちゃんが成人するだけの年月ですが、本当にあっという間でした。
当時、弁護士の先生に裁判の相談をしてみたところ、医療過誤は最低でも20年はかかると言われたので、裁判になっていたら終わるのが今頃になります。
私も来年には父が亡くなった年齢を迎えます。
こうして振り返ると、本当に偉大な人でした。
時代が違うとはいえ、今の私の年齢で父は私を含めた3人の子供を育てていて、しかも、そのうちの1人が中米のグァテマラのというよくわからない国に行ってて…笑
同じ年代になって、本当に凄かったんだなぁとしみじみと感じたりします。
テレビの中で観たようなことがまさか自分に起こるなんて、家族の誰もが思ってもみないできごとでした。
私は父が亡くなったことを「何か意味があるんだ」と思うことで受け入れようとしました。
そうでもしないと受け入れれない。だから無理やり意味を探していこうとしたのかもしれません。自分はここから何を学ぶべきなんだろう、何を学べと言われているんだろうと考えてばかりいました。
注射による急激なアレルギー反応。アナフィラキシーショック。
その影響で心室細動が起きたことが死につながりました。
そこから医療について、たくさん調べて勉強しました。
調べてみて、必要のない薬があると判断できるようになったこと。
打つ必要のない注射があること。
医療そのものにも今の世の中には認識されていない、いわゆる表には出ていない一面があるということもわかりました。
このことは何も医療だけに限った話ではありません。
表があるということは、もちろん裏側も存在する。
これは環境問題に関しても同じです。
服の墓場とアブラヤシの森林
例えば服のリサイクル。
リサイクルとは不要なものをゴミとして捨てずに再利用することで、「環境にやさしい生き方」という面では多くの方が耳にしたり取り組まれたりしています。
中国やバングラデシュで作られた衣料品はヨーロッパやアジア、アメリカに行き、売れ残ったものや古着は南米チリに集まってきます。
チリのイキケという港は関税がかからない港として知られているため、年間およそ5万9000トンもの衣料品が運ばれてきて、そのうちの一部が国内の衣料品店に買い取られていくわけですが、売れないものは残されていき、処理にはお金がかかるため、アタカマ砂漠に運ばれていきます。
その量はこれまでに3万9000トンにまでのぼるとされていて、この中から最貧困層が衣服を自分が着るためや、まだ売れそうなものを持ち帰り、残った分が最終的に廃棄されていきます。
廃棄された衣服はどうなるか。
有害なガスを出して大気や地下水を汚染していき、最終的には人間に返ってくるという流れになります。
このような衣服の墓場は西アフリカのガーナなどにも存在しています。
生産性が高く、価格も安いということから需要が高まっているパーム油。
アブラヤシから作られるパーム油は、加工食品や洗剤、化粧品、医療品にも使われており、持続可能な開発目標として広がっているSDGsの側面から見ると、その汎用性の高さから、SDGsで掲げられている課題の多くを解決してくれる印象を受けますが、その原産地では森林が破壊され、オランウータンが居住地を失い、森を失ったことで生物の多様性が損なわれ、森で生活していた先住民も同様に住処を失い人権問題も出てきます。
また、アブラヤシを栽培するために泥炭地を減らしていたり、整地するために火入れをすることで森林火災も起き、ここでも大気汚染を発生させています。
表面的には耳障りの良いことも、深くみていくことで浮き出てくる問題点が多くあるのです。
人間の課題と可能性
そもそも、地球環境問題のような社会問題は、ファッション的な取り組みで流行りに乗って解決していくものなのでしょうか?
当たり前のように続けていかないことにはまた出てくる問題ではないでしょうか?
これらの問題について考えたとき、SDGsやリサイクルなどの環境問題に関する用語は関心を持つきっかけにはとても有効であると思いますが、同時に立ち止まって深く考えてから行動を起こしていくことの重要性に気付かされます。
前述の衣服やパーム油の例から気づく根本的な問題点は何か。
私たちは多くを持ち過ぎてしまい、そしてそのことに慣れ過ぎてしまっているようです。
食材にしても然り。経済に関しても然り。
本来は分け合うことができるものが一局に集中し過ぎてしまい、そのせいで食料が足りなくなり飢餓で命を落とす人がいる。
お金が一点に集まり過ぎてしまい、貧困に喘ぐ人がいる。
人間という存在に焦点を当ててみるとすぐに分かることですが、もっと視野を広くすると、人間以外の存在にもその影響を与えていることは容易に想像がつくことだと思います。
この世に存在しているものは全て必要性があって存在している。
例えば、善玉菌や悪玉菌と言われて区別されている腸内細菌ですが、悪玉菌にも肉類を分解する役割があります。悪玉菌もなくてはならない存在なのです。
ただただ、地球の摂理に従ってその役目を果たしているだけ。
では、私たち人間にはどんな役割があるのでしょうか?
地球は自分たちのためにあるというかのような毎日を繰り返し、好き放題やってきた人間にはそれを元に戻す責任がある。
今のままでは人間は地球にとって不要な存在になってしまいます。
でも、人間にもちゃんと役割があるとするなら…
人間はまた以前のような美しい地球を取り戻せるんだということを証明したい。
そんな思いで地球Laboに与えられた仕事に向き合っていきたいと思います。