前回の投稿で森づくりに関しての記事を投稿させていただき、コスタリカのエコツアーについて触れましたが、実は、20年ほど前に南米のアルゼンチンとエクアドルも旅する機会がありました。今回は、そんな旅の中から学んだことが、今の私の地球Laboの原点の一つになっていたんだと気づいた、そんなお話です。
アルゼンチンでは世界三大瀑布のイグアスの滝、生きている氷河と言われているペリト・モレノ氷河、エクアドルではガラパゴス諸島を訪れましたが、こうして振り返ると見事に自然を訪ねる旅をしていたことに気づきます。
圧巻の大自然
大小合わせて275の滝があり、毎秒65000トンもの水が流れているイグアスの滝。
常に鳴り響ている轟音と、水煙によって無数に作り出される虹。
凝縮された地球のエネルギーを放出しているような強烈な「動」のエネルギーと、ただただ美しい光を放って静かにこちらを見守っているような虹の「静」のエネルギー。
この静と動のコントラストがずっと続く光景はまさに圧巻でした。
ペリト・モレノ氷河はアイゼンをつけて氷河の上を歩くことが出来ました。
カラファテという街からツアーに参加し、バスに乗ることおよそ2時間。
急に目の前に氷河が現れます。
あまりにも巨大で神秘的な青さを纏った氷の塊は長さ約30km、幅約5km、高さは60m。
時折爆音を響かせて大崩落を見せてくれます。
ツアーガイドがその場で氷河を削って作ってくれた200年前の氷のウィスキーのロックは最高でした。
ガラパゴス諸島は幼少期にその存在を知った瞬間から心を奪われた、憧れの場所でした。
人と野生の動物がとても近い場所。
最初に目に飛び込んでいた光景は、なんとベンチに寝そべるアザラシでした(笑)
船に乗って様々な島を訪れガイドの案内で島を回り、船に戻って夜を過ごして、朝になるとまた別の島に着いて…。
巨大な甲羅から伸びた足で大地を踏みしめながらゆったり歩くガラパゴスゾウガメ。
真っ青な足で踵を上げながら求愛ダンスをするアオアシカツオドリ。
食糧を海の中に求めて海に潜れるようになったウミイグアナは、しっかりと岩にしがみついて海流に流されないように爪が鋭くなり、尻尾も泳ぎやすいように平たい形に進化しました。
今の形態に辿り着くまでに、一体どれだけの時間と執念が必要だったのかー。
それだけでも壮大ですが、ガラパゴス諸島にはそんな独自の進化を遂げた動物たちがたくさんいて、島そのものがとてつもない生命力に溢れたエネルギーの塊でした。
大自然の中に身を置いて、登ってくる太陽を感じながら朝を迎え、日中はありったけに地球を味わい、静かに見守ってくれる月を感じながら眠りにつく。
そんな地球を楽しむ旅が、豊かな心を養う要素になってくれたことは信じてやみません。
人との出会い
旅先で出会った人たちも同様に、心を豊かにしてくれました。
1人で食事をしていると輪の中に混ぜてくれたコロンビア人家族。
ツアー中に歩きながら一緒に話したセビリア人の青年とそのご両親。
バス乗り場で話したら目的地が一緒だと気づき、一緒に観光をしたアメリカ人。
たまたまツアーで一緒になり話したことがきっかけで、数日行動を共にした日本人。
旅先で知り合ったいろんな国の人たちと同じものを見て、一緒に心を揺さぶられて、余韻に浸りながらお酒の入ったグラスを傾けて、お互いが母国語以外の言葉で語り合う。
何を伝えようとしているんだろう?どう伝えれば伝わるんだろう?
そんな思考を張り巡らせながら交わす会話は、とても思いやりに溢れていました。
大自然の中で自分の存在の小ささを感じて、地球の一部として生かされていることに気づくことは心の洗濯のような感じがします。
怒りや悩み、悲しみなどのネガティブな感情はどんどん小さくなって、愛や優しさや感謝などのとても尊い感情でいっぱいになり、胸の辺りが内側から暖かくなります。
最近の報道番組は内容がとてもネガティブな要素が多すぎて、見たり聞いたりすることでいたずらに不安を感じたり、そわそわしたり、悲しい気持ちになったりなど心がざわつくことが多く、たとえ短い時間でも、そこに意識を向けることができなくなってしまいました。
かといって、情報の収集をしていなかったかというわけではなく、精査をしながらも心で感じて、頭で考えて言語化して…を繰り返しながら気づいたらあっという間に2年が過ぎました。
病気のことも、戦争のことも、マスコミから正しさを押し付けられているようで、とても息苦しい。
本当の正しさはどこにあるのか。正義とは何か。そんなことばかり。
でも、そもそも、何が正しいとかという基準ではなくて、まずはそれぞれがどう感じているかを深く受け止めてみることが必要なんだと思います。
正解を作るためには間違いが必要になります。
一旦そこから離れて、自分がどう感じるか、そして、周りはどう感じているか。
それが答えなのでないかなと思います。
そこを受け止めて、お互いを満たし合うために、私たちは心を育むのではないのでしょうか。
そして、その思いを少しずつ地球に向けていくと、人間以外の存在にも思いやりを持てるのだと思います。
それは目に見えない小さなものから、とても大きな存在まで本当に様々。
目にみえない菌が私たちの毎日を支えてくれたり循環を生み出してくれていて、その菌たちも私たちのような他者の存在に支えられていると思うと、思わずほっこりした気分になります。
そんなところから考えを広げると、例えば問題や対象は違っても、お互いを受け入れ合うことができるようになるのかも知れません。
地球はわたしたちだけの星ではなく、私たち人間も地球という星の一部です。
今私たちが見ている地球の美しい風景は、50年後、100年後の子どもたちも目にすることができるのでしょうか。
今生きている私たちが今までの負を受け止めて、これ以上マイナスにいかないように歯止めをかけたい。
どうか1人でも多くの方、それぞれが、それぞれの形で地球を大切にし、ここから先の世代には今以上に美しい地球を残せますように。