27年前の今日、1月17日。阪神大震災が起こったその日、私は震源地の近くに住んでいました。
5時46分。布団の中で、長くて気味の悪い地鳴りを聞き、ただ事ではないと目を覚ました瞬間、身体全体をドーンと突き上げられ、そこから想像を絶する激しい揺れ。私の知り得る「地震」ではなく、何が起きているのか全く理解できませんでした。
長い時間大きく揺さぶられ、起き上がることもできず、食器棚が倒れ、ガシャンガシャンと激しく音を立てて食器が飛び散るのを聞きながらも、妙に冷静な自分がいて、なぜだかわかりませんが、「地球が壊れた」と感じました。大いなる自然の前に為す術はなく、「このまま死ぬのかな。こんなにあっけなく死ってやってくるんだな」と、生まれて初めて自分の死を覚悟しました。
おさまった揺れにほっとしたのも束の間、また次の大きな揺れ。何度も何度も繰り返し起こる余震。さらに電気、ガス、水道、すべてのライフラインがストップしました。なぜかお昼に一瞬だけ奇跡的に義姉とつながった電話を最後に、誰とも連絡が取れなくなりました。
次の揺れを身構えながら一日を過ごした後、夜に訪れたさらなる恐怖。真っ暗な空の下で、少し向こうの街が真っ赤に燃えていました。戦争でミサイルがそこに落ちたかのような景色。巨大な炎がこっちまで襲ってくるんじゃないかと思うと、安心して眠ることもできませんでした。
その後、日々余震が落ち着いてきたものの、1か月以上蛇口をひねっても水が出ないし、ガスの復旧には2か月かかり、不便な日々を過ごしました。
明日もあたり前に朝を迎えることができるという保証なんて、どこにもないことを実感しました。
悲しくつらい体験でしたが、学びや気づきもあり、この経験を通して、大きく人生観が変わりました。
多くの方が犠牲になられた中で、私たちはありがたいことに家族全員の命が守られました。命さえあれば、前を向いて生きていける。生きているだけでただありがたいと思うようになりました。
そして、蛇口をひねると水が出ること、温かいお風呂に入れること、そして、家でご飯が食べられること。全てがあたり前ではなく、「有難い」こと。時が経つと、ついつい日々に流され、感謝を忘れてしまいますが、こうして1月17日になると、毎年その時のことを思い出し、今のしあわせやありがたさに気付かされます。
そして、この震災の経験が私を地球Laboに導いたのだと感じています。
「地球が壊れた」と感じたと同時に、「地球が怒った」とも思いました。
私は、地球から「怒りのメッセージ」を受け取ったと感じたのです。
大量生産・大量消費、そして大量廃棄。人類が好き放題して、どんどん悪化していく環境。
どこかおかしい。そう感じていたので、震災後、子育てをしながらも私の関心は常に環境問題にありました。今ほど情報がない中で、環境について勉強したり、社会活動に参加したりしました。ですが、学んだことを周りに伝えても、理解はもちろん関心すら示してしてくれる人はなかなかいませんでした。
20年以上の月日が流れ、世の中の変化に伴い、環境問題について意識の高い方も少しずつ増えてきた中で、立ち上がった地球Labo。
ひとりひとりの思いや経験は違っていても、本気で地球をよくしたいという共通の想いがある仲間。私が長年抱いていた想いを想いで終わらせることなく、今、私たちができることをして、形にしていく。そこに共感する人がどんどんつながっていくことで、小さな点が線となり、円となって、その輪を広げていく。その地球Laboの目指す未来に感動しました。
つい先日、トンガ沖での海底火山噴火が発生し、地球規模での津波が日本にも押し寄せてきました。
地震・火山噴火は海外だけの話ではなく、昨年から鹿児島県のトカラ列島でも大きな噴火が頻発していますし、日本各地で頻繁に地震も起こっています。
そして、毎年のように言われる異常気象。
もはや「例年」という言葉は通用しません。いつ何時、大きな災害が起こるかもわかりません。
そして生態系の変化。
20世紀後半の50年間で、マグロ、タラ、ヒラメなどの大型捕食魚の数は10分の1に激減し、海の生態系は深刻な危機にさらされています。「さんま高いね~」と言ってる場合ではないのです。このまま手を打たないと、2048年には世界の海で魚が獲れなくなると予測するカナダの生物学者もいます。2048年と言えば、26年後。阪神大震災から今年で27年。遠い未来ではなく、あっという間にやってくる近未来です。
私たちは生物の頂点にいると思いがちですが、前回のコラムで書いたように、生態系ピラミッドの中で、私たち人類は単なる消費者。地球にあるものをいただく消費者にすぎません。
そのような立ち位置でありながら、私たち人類は、地球の大切な資源である「いただきもの」を大切にしているでしょうか?
大量に捕ったり、採って作ったりした後、ムダに廃棄していないでしょうか?
家の中をきれいにしたあとの排水で海を汚していないでしょうか?
「人類がいなくなれば、地球は美しさを取り戻す」とか、「人類は地球のガン細胞」などと言われています。
それほど、私たち人類の生活は地球に負荷をかけているのに、私たちは地球に対して、愛や感謝を感じているのでしょうか?
あることがあたり前。
その驕った考えの元、少しずつ地球の環境悪化の原因を作っているのではないでしょうか?
世界で起こっている事実を研究し、世界中の学者が警笛を鳴らしているにも関わらず、資本主義社会において経済が優先される中、私たちの耳にはあまり聞こえず、なかなか環境への意識が高まりにくいのが実情です。
目の前の生活で余裕がないかもしれません。でも、地球がメッセージを送ってくれている間に、私たち人類は地球レベルで変わらないといけない所まで来ているように感じています。
正義を押し付ける話ではありません。正義の向こうには、もう一つの正義があること。押すと倍の力で押し返されること。敵意を生み出し、相手をより頑なにすること。何年もかけて学びました。
ですが、ほんの少しでいいから、関心を持ってみませんか?
流れてくる情報を鵜呑みにせず、受け止め、疑問を持ってみませんか?
何か見えてきたら、言葉や行動に変えてみませんか?
共感してくださったなら、手をつなぎましょう。
微生物は、目に見えないほどの小さな存在ですが、手をつなぎ、巨大ネットワークを作ることで、地球上の大きな働きを担っています。
私たちもひとりひとりの力は小さくても、つながることで大きな役割を果たすことができるはずです。
人から人へ。
未来の美しい地球を目指す仲間がつながり、地球がよくなるムーブメントを起こしたい。そんな想いで、地球Laboと共に、これからも地球と人がHAPPYになるモノ・コトをご提案していきたいと思います。
1月17日というわたしにとって特別な日にコラムの順番が回ってきたことで、改めて自分の想いや大切にしていることに向き合うことができました。今日のコラムには、お読みくださった皆様にとっては学びがないかもしれませんが、これをきっかけに、どなたかが環境について少しでも意識を向けてくださるとうれしいです。
過去のジャーナルには、環境に関する詳しい情報や知識を盛り込んだコラムもございます。どうぞ、そちらも併せてお読み下さいませ。