2021年4月19日

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グァテマラ滞在記

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1999年から2001年の2年間を、私はメキシコの南にある中米のグァテマラ共和国で過ごしました。

首都であるグァテマラシティに家を借り、青年海外協力隊の隊員として、バドミントンの指導と普及にあたりました。

初めての海外で初めての一人暮らし。

当時、私も含め、私の周りにはグァテマラという国を知っている人がおらず、派遣が決まった時、父は「地球の歩き方」でアフリカコーナーを必死に探しても見つからない(そりゃ、あるわけない)と言っていましたし、大学の監督も私がアフリカに行くと言っていました。

現地では、まだバドミントンというスポーツを知らない人達にバドミントンを紹介したり、昼にナショナルチームの選手の練習を見て、夕方からは学校帰りの小学生の練習、夜にまたナショナルチームの選手という毎日で、土日を除くほぼ毎日が家と体育館の往復でしたが(もちろんここには書けないような体験もたくさんあります…)2年間の間にとても貴重な経験をさせていただきました。

グァテマラ共和国は北海道と四国を合わせたより少し大きいぐらいの広さで、人口は推定で1660万人ほど(外務省HPより)

その約42%がマヤ系先住民、約56%が欧州系と先住民の混血、その他欧州系白人やカリブ海沿岸に多く居住しているガリフナ族が約2%で構成されています。

国鳥である「ケツァル」は手塚治虫の火の鳥のモデルになってることで知られています。 

恐らくコーヒーが有名ということをご存知の方が多いと思いますが、実は良いコーヒーは輸出されてしまうため、国内ではあまり美味しいコーヒーに出会えたといえ記憶がありません(今は好きですが、当時はコーヒーは苦手な飲み物でした)

また、公用語はスペイン語ですが、マヤ系先住民が使う現地語がまだ20以上も残っていて、首都の街中でも民族衣装に身を包んだ先住民を普通に見かけます。

地方に行くと各地でそれぞれの特色がある刺繍を施している民族衣装を見ることができ、とても綺麗です。

治安は悪い国でした。

同じ協力隊員の中でもナイフを突きつけられてお金を奪われた人もいましたし、主な移動手段であるバスはよく強盗が起きていました。

体育館に向かうバスに雰囲気がおかしな感じの2人組が乗ってきて、何だか寒気がしたのでその場で即降りて外から様子を見ていたら、その2人組が銃を取り出したことがありました。

現地人の同僚は銃を突きつけられたこともありました。

ある日、体育館に着くといつもはとても陽気なその同僚が遠くから挨拶をしても反応せずに、静かに座ったままでいました。

様子がおかしいと感じながら近づくと、なんと顔がボコボコ…。

話を聞くと、前日の仕事帰りに強盗に遭ったとのこと。

銃で脅されて、腹を立てた彼が反撃をしてやろうと相手の鼻っ柱に一発お見舞いしたところ、その瞬間、数人に囲まれて殴る蹴るの暴行を受け、お金だけでなく履いていたスニーカーまで奪われたそうです。

「自分は命を奪われなかっただけ運が良かった」と話していました。

人混みの中を歩いたら、リュックをナイフで切られて財布を抜かれてるなんてことはよくあることで、人混みを歩くならリュックは前に持たなければいけません。

後をつけられることもあるので、20メートルほど歩いたら後ろを振り返るということもしていました。

2年間のこんな生活のおかげで、帰国後すぐにその習慣がなかなかぬけずにソワソワしてしまいました(笑)

水も水道水を飲むことはできませんでした。

水道管が細いため、トイレットペーパーは流すと詰まってしまうため、トイレにはゴミ箱がおいてあります。

驚いたのが、トイレに便座がなかったことです。

用を足すには中腰でしなければいけません(笑)

…と、治安のことや衛生面を書き出すとなかなか止まらない感じになってしまいますが、でも、個人的にはとっても大好きな国です。

グァテマラ人はラテン系のノリだとまだ控えめな方だと言われますが、音楽がなると体が動き出すような人達。

出会った子供たち、特に地方の子達は目がキラキラしてて、本当に子供らしくて可愛らしかったです。

夕陽が沈む姿が世界一美しいと言われるアティトラン湖。

何度も訪れて、いろんな思い出があるところです。

周りには先住民の村があり、その1つに住んでいるとある兄弟が、オーダーメイドでモカシンを作っていました。

日本に帰国後、記念に作ったモカシンをしばらく履いていたんですが、ある日、母親に叩き起こされて見てみると、当時飼いだしたばかりの我が家の愛犬フリオがおもちゃにしてボロボロにしてました。

世界にたった1足のモカシンだったのに…(泣)

マヤ文明のティカル遺跡も最高でした。

メキシコのピラミッドや遺跡にも行きましたが、整備されすぎてるような印象を受けました。

グァテマラの遺跡はジャングルの中にドーン!と現れる感じ。

当時はピラミッドに登ることができて、帰国後に観たスターウォーズのワンシーンでまたその風景を観たときには興奮しました。

また、パライソという温泉が湧き出ている川があったんですが、そこに行ったときにはなんと帰りのバスが無くなってしまいました。

電気もガスもないような、舗装もされてない田舎道。ひたすら歩いてホテルに行くしかないと、一緒に行ってた人達と歩いていると、後ろから車が!

必死で止めてヒッチハイクに成功したんですが、運転していたのはドイツ人の方。

ホテルのある街まで乗せてくれることになり、そのお礼に何かしたいと言うと、日本の歌を聞かせてくれと言うことになり、車の中でみんなで「上を向いて歩こう」を歌いました。

歌を気に入ったそのドイツ人の方が、ドイツにいる奥さんに聞かせたいと国際電話をかけて、今度は送ってくれた街中でみんなで合唱(笑)

どれもこれも、本当に良い思い出です。

当時練習を見ていた子供たちもすっかり大人になって、SNSで繋がってくれています。

東日本大震災のときにはたくさんの連絡をくれました。

地方でコーチをしている友人、いつも一緒だった同僚や、よく一緒にお酒を飲んだ現地の友人は今もたまに連絡をくれます。

スペイン語がかなり抜けてしまっているので返事に時間がかかってしまうのが悩みどころですが、また時間的な余裕ができたら、スペイン語を勉強したいと思っています。

中学校でバドミントンを始めたときには、グァテマラにバドミントンを普及しに行くなんて、想像も計画もしていませんでした。

大学まで続けたことがグァテマラに結びつき、グァテマラから大阪に。

グァテマラに行っていなければ、大阪に住むことにはなっていなかったですし、大阪に居なければ地球Laboとの出会いもありませんでした。

そう振り返ると出会いにどれだけ感謝してもしきれません。

グァテマラでの様々な経験は、私の中で貴重な財産として今に役にたっていますし、地球Laboのお仕事でまた新たな方とのご縁の連続を頂けていることにも感謝です。

今回はこれまでとは違った雰囲気で書いてみましたが、また折を見て書いてみようと思います。

コーヒーで有名なグァテマラですが、また違った側面も感じて頂ければ幸いです。

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